エッセイ
なぜ「推し」や「MBTI」で自分を定義する?
なぜ私たちは「推し」や「MBTI」に自分を見出そうとするのか ― 所属を失った時代のアイデンティティ探し ― 最近、「推し活」や「MBTI診断」が当たり前のように話題になっています。 SNSのプロフィールには「INFP」「ENTJ」といった文字が並び、好きなアイドルやアニメキャラクター、アーティストを中心にコミュニティが形成されています。 もちろん、それ自体は楽しい文化です。 しかし、少し引いた視点で見てみると、そこには現代社会の大きな変化が映し出されているようにも感じます。 なぜ私たちは、自分がどこに属しているのかを知りたがるのでしょうか。 なぜ「私は○○タイプです」「私は○○推しです」と表明したくなるのでしょうか。 それは単なる流行ではなく、「自分は何者なのか」という問いに対する現代人なりの答え探しなのかもしれません。 昔は「所属」が先にあった 少し前の時代まで、人は自分が何者なのかをそこまで深く考えなくても生きていくことができました。 なぜなら、所属が先に与えられていたからです。 例えば、 地域社会 家族 学校 会社 宗教 地縁や血縁 などです。