なぜ私たちは「推し」や「MBTI」に自分を見出そうとするのか
― 所属を失った時代のアイデンティティ探し ―
最近、「推し活」や「MBTI診断」が当たり前のように話題になっています。
SNSのプロフィールには「INFP」「ENTJ」といった文字が並び、好きなアイドルやアニメキャラクター、アーティストを中心にコミュニティが形成されています。
もちろん、それ自体は楽しい文化です。
しかし、少し引いた視点で見てみると、そこには現代社会の大きな変化が映し出されているようにも感じます。
なぜ私たちは、自分がどこに属しているのかを知りたがるのでしょうか。
なぜ「私は○○タイプです」「私は○○推しです」と表明したくなるのでしょうか。
それは単なる流行ではなく、「自分は何者なのか」という問いに対する現代人なりの答え探しなのかもしれません。
昔は「所属」が先にあった
少し前の時代まで、人は自分が何者なのかをそこまで深く考えなくても生きていくことができました。
なぜなら、所属が先に与えられていたからです。
例えば、
地域社会
家族
学校
会社
宗教
地縁や血縁
などです。
「○○町の人」
「○○会社の社員」
「○○家の長男」
そうした肩書きだけで、自分の立ち位置がある程度決まっていました。
人生のレールが良い悪いは別として、少なくとも「自分は何者なのか」で迷う余地は今より少なかったのです。
自由になった現代人
一方で現代は、かつてないほど自由な時代です。
働き方も自由。
住む場所も自由。
趣味も自由。
結婚するかしないかも自由。
SNSを通じて世界中の価値観に触れることもできます。
これは素晴らしいことです。
しかし自由には副作用があります。
それは、
「選択肢が多すぎる」
ということです。
どんな仕事をするのか。
どんな人生を送りたいのか。
どんな価値観を持つのか。
そのすべてを自分で決めなければなりません。
昔は社会がある程度答えを用意していました。
しかし今は、
「好きにしていいよ」
と言われます。
自由は増えたのに、正解は減ったのです。
人は分類されると安心する
そんな時代に流行したのが診断文化です。
MBTIはその代表例でしょう。
本来は性格傾向を理解するための参考ツールですが、多くの人は診断結果に対して、
「やっぱり自分はこういう人だったんだ」
という安心感を覚えます。
なぜなら分類されることで、自分の輪郭が見えるからです。
自分が何者かわからない状態は不安です。
しかし、
「私はINFPです」
「私はENTPです」
と名前がつくと安心できます。
診断結果そのものが重要なのではありません。
大切なのは、
自分を説明する言葉を手に入れられること
なのです。
推し活も同じ構造を持っている
推し活も似ています。
推し活は単なる娯楽ではありません。
「誰が好きか」
を通じて、
「私はどんな価値観を持った人間なのか」
を表現する行為でもあります。
例えば、
努力家のアイドルを推す人
優しいキャラクターを推す人
反骨精神のあるアーティストを推す人
それぞれが、自分の理想や憧れを投影しています。
そしてさらに重要なのは、
同じ推しを好きな人たちとのつながりです。
現代人が失ったもの
人は昔から共同体の中で生きてきました。
村があり、
町があり、
会社があり、
家族がありました。
しかし現代では、それらの結びつきが少しずつ弱くなっています。
地域の付き合いは減り、
終身雇用は崩れ、
転職は当たり前になり、
SNSによって人間関係も流動化しました。
これは悪いことではありません。
ただし、
「ここにいていい」
という感覚を得られる場所が減ったことも事実です。
その結果として、
推し活コミュニティ
オンラインサロン
趣味のコミュニティ
Discordサーバー
SNSグループ
などが新しい居場所になっています。
推し活は趣味であると同時に、
現代版の共同体
とも言えるのです。
SNSが加速させた「自己説明」
SNSには特徴があります。
プロフィール欄の文字数が少ないことです。
限られたスペースで自分を表現しなければなりません。
すると人はラベルを使います。
MBTI
推し
趣味
職業
属性
こうした情報は、
「私はこういう人です」
を短時間で伝えるための便利な道具になります。
つまりSNSは、
自己紹介の文化ではなく、
自己ラベリングの文化
を強めたとも言えるでしょう。
私たちが本当に探しているもの
ここで一つの疑問が浮かびます。
私たちは本当にMBTIを知りたいのでしょうか。
本当に推し活だけをしたいのでしょうか。
おそらく違います。
私たちが探しているのは、
「私は何者なのか」
という問いです。
さらに言えば、
「私はなぜ生きるのか」
という問いかもしれません。
しかしその問いは大きすぎて、簡単には答えられません。
だからこそ人は、
MBTIや推し活のような身近なものを通じて、
少しずつ自分の輪郭を確かめようとします。
ラベルは地図であって目的地ではない
ここで勘違いしてはいけないことがあります。
MBTIは自分を理解するための道具です。
推し活も人生を豊かにする趣味です。
しかし、それらは自分そのものではありません。
地図が目的地ではないように、
ラベルも人生そのものではありません。
「私はINFPだから」
「私は○○推しだから」
という説明は、自分の一部を表しているに過ぎません。
人間はもっと複雑で、多面的な存在です。
TAOMI的な視点
TAOMIでは、ライフスタイルや社会の変化を「構造」から見つめることを大切にしています。
その視点で考えると、
推し活やMBTIブームは若者文化の流行ではなく、
所属を失った社会で、人々が新しい居場所や自己認識を探している現象
として見ることができます。
昔は会社や地域社会が担っていた役割を、
今はSNSコミュニティや推し活が担い始めている。
そしてMBTIは、
昔の肩書きの代わりに自分を説明するための新しい言語になっている。
そう考えると、これらの文化は単なるブームではなく、現代社会そのものを映し出す鏡なのかもしれません。
終わりに
人は昔から、
「自分は何者なのか」
を問い続けてきました。
ただ、その答えを探す方法が時代によって変わっているだけなのかもしれません。
村の中で探した時代。
会社の中で探した時代。
そして今は、SNSや推し活、診断文化の中で探す時代。
私たちは自由になった一方で、自分自身の意味を自分で作らなければならなくなりました。
だから今日も誰かが診断を受け、
誰かが推しを応援し、
誰かがプロフィールに新しい肩書きを書き加える。
それは流行を追いかけているのではなく、
「私はここにいていいのだろうか」
という、人間の根源的な問いへの答えを探しているのかもしれません。