タイパ時代、あえて「遠回り」をする贅沢
朝、湯を沸かす。豆を挽く。フィルターに粉を落とし、細く湯を注いで、蒸らしを待つ。時計を見れば、コーヒーが一杯できあがるまでにおよそ十分。ボタンひとつのマシンなら、その間に三杯は淹れられる。 それでも、この十分間を手放したくないと感じる朝がある。湯気の立ちのぼり方、粉がふくらむ様子、部屋に広がる香り。効率だけを尺度にすれば「無駄」としか言いようのない時間の中に、なぜか、一日のどの瞬間よりも静かな充足がある。 この感覚は、いったい何なのだろうか。 「タイパ」という言葉が生まれた背景 タイパ——タイムパフォーマンスの略語が広く使われるようになって、数年が経つ。映画やドラマの倍速視聴、数十秒で完結するショート動画、本の要約サービス。かけた時間に対してどれだけの成果や満足を得られたか、という物差しが、消費のあらゆる場面に浸透した。 この傾向を「現代人の余裕のなさ」と切って捨てるのは簡単だが、それはおそらく正確ではない。観たい作品、読みたい本、追いかけたい情報は、一人の人間が一生かけても消化しきれない量で日々生まれ続けている。限られた時間の中で何かを選ぶことは、何かを諦めることと同義に