焼きソーセージで投票するオーストラリアと、世界の選挙のかたち


選挙の日、投票所のそばで誰かがバーベキューをしている。香ばしい煙のなかでソーセージを焼き、パンに挟んで売る。投票を済ませた人がそれを片手に立ち話をして、また誰かが列に並んでいく——。

これはオーストラリアの、ごくありふれた選挙の風景だ。「デモクラシー・ソーセージ」と呼ばれるこの習慣は、いまでは選挙の名物になっていて、地域の学校や団体にとっては一年で最大の募金イベントになることもある。投票は土曜日に行われ、雇い主は従業員に投票のための時間を与えることが求められる。選挙が、義務であると同時に、ちょっとしたお祭りでもある。

日本の投票所を思い浮かべてみると、その空気の違いに少し驚く。静かで、事務的で、紙に名前を書いて、折りたたんで、箱に入れる。同じ「一票を投じる」という行為が、国が変われば、ここまで表情を変える。

では、その投票の「やり方」そのものを、テクノロジーで変えていく動きはどうなっているのだろう。電子投票である。

そもそも「電子投票」とは何か

ここで言葉を整理しておきたい。「電子投票」と聞いて多くの人が想像するのは、スマホやパソコンを使って自宅から投票する姿かもしれない。けれど、これは正確には「インターネット投票(ネット投票)」と呼ぶべきもので、投票所に置かれた専用の機械をタッチして投票する「電子投票」とは別物だ。

日本がこれまで認めてきたのは、後者——投票所の専用機を使う方式のほうである。しかも対象は地方選挙に限られ、自宅から投票できるネット投票は、国政選挙では今も実現していない。「日本は電子投票が遅れている」と言うとき、その遅れがどちらを指しているのかで、話はずいぶん変わってくる。

世界はどこまで進んでいるか

世界に目を向けると、もっとも先を走っているのはエストニアだ。バルト海に面したこの小さな国は、2005年から国政選挙でインターネット投票を導入してきた。そして2023年の議会選挙では、投票した人のおよそ半数がオンラインで一票を投じた。国政選挙で過半数がネット投票になったのは、世界で初めてのことだったという。

国民の多くがデジタルIDを持ち、自宅からでも、海外からでも投票できる。住む場所に縛られない選挙のかたちが、すでに現実として動いている。

ただし、ここで単純に「進んでいてうらやましい」と言ってしまうのは早い。先進国であるはずのエストニアでさえ、電子投票への不安や反対の声は根強く残っている。選挙のたびに不正を疑う主張が出され、ある調査では、多くの人が「システムの問題を解決してほしい」と答えた。「修復は不可能だ」「直るまで停止すべきだ」という意見すらある。

これは大事な視点だ。私たちはつい「電子化すれば不正がなくなる」と考えがちだが、実際にはそう単純ではない。投票所の機械は、書き間違いによる無効票を減らせる。けれどネット投票になると、今度は「本当に正しく集計されたのか」「裏で操作されていないか」を、目で見て確かめにくくなる。不正がなくなるのではなく、不正の「かたち」が変わる、と言ったほうが近いのかもしれない。

日本はなぜ止まっているのか

では、日本はなぜ前に進まないのか。

理由は一つではない。まず、過去に導入を試みた自治体で、機器のトラブルが相次いだ。せっかく専用機を入れても、不具合が出れば信頼は揺らぐ。やがて機器を扱う業者が撤退し、条例そのものを廃止する自治体も出てきた。コストもかかる。法律の整備も追いついていない。

そしてもう一つ、見過ごせないのがデジタル格差だ。スマホを自在に使える人もいれば、そうでない人もいる。投票という、すべての人に等しく開かれているべき権利を、デジタルに置き換えたとき、置いていかれる人が出ないか。慎重さの背景には、こうした「誰も取りこぼさない」ことへの配慮もある。

進めるべき理由も、慎重になるべき理由も、どちらも確かに存在する。だからこそ、この問題は簡単に答えが出ない。

「電子投票で困る人はいるのか」という問い

ここで、少し立ち止まって考えてみたい。

技術的にはもう、できないことではない。エストニアが証明している。コストや格差の問題も、時間をかければ解けない壁ではないだろう。それでも、なぜか議論は前に進みきらない。

仕組みが変わるとき、そこには必ず、変わってほしい人と、変わってほしくない人がいる。今のやり方で選ばれてきた人たちにとって、投票の仕組みが変わることは、何を意味するのだろう。誰にとって、現状維持が都合がいいのだろう。

——これは、答えを書くべき問いではないと思う。ただ、そういう問いがあることだけは、心の片隅に置いておきたい。

SNS時代の私たち

一方で、私たちの側にも変化が起きている。

SNSが当たり前になり、政治や選挙の話題が、良くも悪くも日常のタイムラインに流れてくるようになった。誰かの投稿で初めて知る争点もある。感情的に煽られる場面もあるけれど、それでも、これまで政治と距離を置いていた層が「自分ごと」として関心を持ち始めているのは確かだ。

関心は、確かに高まっている。だとすれば次に問われるのは、その熱を、制度の側がどう受け止めるかだ。投票したいと思った人が、無理なく、確実に一票を届けられる仕組みになっているか。関心と制度のあいだに、まだ距離はないか。

見守り、考えていく

電子投票を進めるべきか、止めておくべきか。この記事は、その答えを出すためのものではない。

ただ、世界にはさまざまな投票のかたちがあって、日本がいる場所もまた一つの選択の結果なのだ、ということは知っておきたい。バーベキューの煙のなかで一票を投じる国があり、海外からスマホで投票する国があり、紙に名前を書く私たちがいる。

どれが正解ということではない。けれど、自分たちの一票がどう扱われ、どう数えられているのか。その仕組みが、これからどう変わっていくのか——あるいは、変わらないのか。有権者である私たちは、そこから目を離さずにいたい。

これからの選挙のかたちを、一緒に見守っていきましょう。