日本人の"ゆるさ"を、環境から想像してみる
大学の日本史の講義で使うテキストを読んでいた。本郷和人さんの『日本史でたどるニッポン』。淡々とページをめくっていた手が、ある一節で止まった。日本人の性格の話だった。
本郷さんはこう論じている。私たちの住むこの島は、地政学的に外から攻め込まれることが少なかった。気候も、シベリアの寒さやインドの暑さのような極端さがなく、おおむね温暖だ。水源に恵まれ、農産物もよく育つ。つまり——働いてさえいれば、食えた。
食うために誰かと激しく奪い合う必要が薄かった、という話だ。
ここで一つ、言葉を置いておきたい。ある集団の性質を、その土地の気候や地形から説明しようとする見方を「環境決定論」と呼ぶ。人の気質は環境が作る、という考え方だ。本郷さんの語り口も、この系譜に近いところにある。恵まれた土地が、激しく争わない気質を育てたのではないか、と。
対比として持ち出されるのが、中国の科挙だ。試験一発で官僚の地位が決まる、苛烈な実力主義の制度。ここでは血筋より結果がものを言う。生き残るために、人は競争する。いっぽう日本では、地位が親から子へと受け継がれる世襲の文化が色濃い。働けば食えた土地では、他人を蹴落としてまで這い上がる動機が、そもそも生まれにくかったのかもしれない。争うより、周りに合わせる。流れに乗る。協調を大事にする。
読みながら、つい現代へ連想が飛んだ。
「近ごろのZ世代はぬるい」とよく言われる。競争心が薄い、ガツガツしていない、と。でももし本郷さんの言うことが少しでも当たっているなら、それは今の若者に特有の劣化ではなくて、もっとずっと前から——それこそ何千年も前から、この土地に住む人が少しずつ身につけてきた癖の、いちばん新しい現れなのかもしれない。
もっとも、「近ごろの若者は」という嘆きそのものは、時代を問わず繰り返されてきた常套句でもある。どの世代も、上の世代から同じことを言われて大人になってきた。だから「ぬるい」という感覚は、若者の側の問題というより、それを見る側の目の癖なのかもしれない。ここも、決めつけずに置いておきたいところだ。
ただ、この話には気持ちのいい引っかかりがある。
「争うことが少なかった」——本当にそうだろうか。
少し思い返すだけで、反例はいくらでも出てくる。応仁の乱で都は焼け、戦国の世では領主が領地を奪い合い、下剋上で家臣が主を討った。外からは攻められにくかったかもしれないが、内側では、私たちはかなり激しく争ってきた。
面白いのは、本郷さん自身がその時代の専門家だということだ。中世——武士たちが血で血を洗った時代の研究者が、「争いの少なさ」から日本人の気質を語っている。この捻れを、私はうまく解けないでいる。外に対しては穏やかで、内に対しては激しい。そのどちらも本当なのだとしたら、「日本人はこういう性格だ」という一枚の絵は、思っているよりずっと描きにくい。
だから、これは想像として書いておく。
私たちの"ゆるさ"が、遺伝子のレベルまで刻まれた性質なのか——正直、そこまでは分からない。人の気質を血筋で説明できるという確かな裏づけを、私は持っていない。むしろ「日本人とは」で始まる説明は、たいてい後から都合よく作られた物語のほうが多い気もする。
でも、想像するのは楽しい。恵まれた土地で、働けば食えて、あまり争わずに済んだ人々が、長い時間をかけてある種の気配を身につけていく——そのイメージを頭の中でころがしてみる時間は、答えが出ないぶんだけ、豊かだ。
受け継いだ性質なのか。環境が長い時間をかけて作った癖なのか。それとも、自分たちが何者かを説明したくて、後から編んだ物語なのか。
あなたは、自分の"ゆるさ"を、どこから来たものだと思うだろうか。