お気に入りの靴の底が、少し剥がれてしまった。

まだ履けるし、見た目も気に入っている。できれば、このまま使い続けたい。

けれど、修理しようと思うと、意外と分からないことが多い。

どこへ持っていけばいいのか。いくらかかるのか。何日くらい預けることになるのか。そもそも、修理できるものなのか。

調べているうちに、新しい靴を買った方が簡単なのではないかと思い始める。

インターネットで注文すれば、価格もサイズも分かる。早ければ翌日には、新しいものが届く。

一方、修理は問い合わせてみなければ分からないことが多い。

物を大切にしたいという気持ちはある。それでも、新しく買うことを選んでしまう。

私たちは本当に、物を捨てたくて捨てているのだろうか。

新しく買うことは簡単になった

私たちの生活は、以前よりずっと便利になった。

欲しいものがあれば、スマートフォンで探せる。

価格を比較し、レビューを確認し、数回の操作で注文できる。

その裏側には、決済システムや物流網、倉庫、在庫管理など、多くの仕組みが存在している。

新しいものを買うという行為が簡単なのは、決して偶然ではない。

長い時間をかけて、便利に買える社会をつくってきたからだ。

では、使い続けることについてはどうだろう。

壊れたものを修理するには、交換する部品が必要になる。

その部品が手に入ることも重要だ。

製品が分解できる構造になっていなければ、修理そのものが難しい場合もある。

そして何より、修理できる知識と技術を持った人が必要になる。

たとえ修理できる製品でも、費用が新品より高かったり、近くに修理店がなかったりすれば、修理という選択肢は現実的ではなくなる。

つまり、物を長く使えるかどうかは、持ち主の気持ちだけでは決まらない。

その物を使い続けるための環境が、社会の中に用意されているかどうか。

そこにも大きく左右される。

私たちは、新しく買うための仕組みを発達させてきた。

けれど、使い続けるための仕組みは、同じくらい発達させてきただろうか。

「直せること」を、権利として考える

ヨーロッパでは、修理を社会の仕組みとして支えようとする動きが進んでいる。

EUでは2026年7月から、消費者が製品を修理しやすくする新しいルールの適用が始まった。

洗濯機やスマートフォンなど、EU法で修理可能性に関する要件が定められた特定の製品について、メーカーに合理的な価格と期間で修理を求められるようにする制度だ。

さらに、修理サービスの情報を分かりやすく提供することや、消費者が修理業者を探しやすくするためのオンライン基盤の整備も進められている。

興味深いのは、これを単なる環境意識の問題として扱っていないことだ。

「壊れたら修理しましょう」と呼びかけるだけではない。

修理したいと思った人が、実際に修理を選べるようにする。

そのために、制度や情報の仕組みを変えようとしている。

フランスには、修理費用の一部を補助する「Bonus Réparation」という制度もある。

対象となる家電製品や衣類、靴などを認定された事業者で修理すると、費用の一部が直接割り引かれる仕組みだ。

もちろん、すべての製品や修理が対象になるわけではない。

それでも、修理にかかる経済的な負担を、個人だけに任せないという考え方は重要だと思う。

新しく買う方が安く、簡単で、早い。

そんな状況に対して「物を大切に使いましょう」と言い続けることには限界がある。

修理することが自然な選択肢になるように、社会の側を変えていく。

そこには、個人の意識を変えることとは異なる可能性がある。

修理できる街を、想像してみる

オランダで始まった「Repair Café」という活動がある。

壊れた家電や衣類、生活用品などを持ち寄り、修理の知識を持つボランティアと一緒に直す取り組みだ。

単に修理を依頼する場所ではない。

直し方を教わることもできるし、誰かが修理する様子を見ることもできる。

2026年に公表された国際調査では、世界で年間約6万回のRepair Caféが開かれ、160万点を超える品物が持ち込まれていると推計されている。

日本でも、2026年10月にさいたま市で「REPAIR WEEK JAPAN」が開催され、修理の実演や相談、ワークショップを通して、直して使い続ける文化を広げる取り組みが行われた。

こうした活動を見ていると、修理は単なる技術ではなく、人と人をつなぐ行為でもあるように思える。

物が壊れたとき、気軽に相談できる場所がある。

直したい人がいて、直せる人がいる。

必要な部品や道具が手に入り、修理の方法を知ることができる。

そんな環境が街の中に当たり前に存在したら、私たちの物との付き合い方も少し変わるのではないだろうか。

例えば、図書館が知識へアクセスする場所であるように、地域の修理店や工房が、物を使い続けるための場所になる。

近所に相談できる人がいて、修理できる場所を簡単に探せる。

新しく買う前に、一度直せないか考えてみる。

そうした選択が、特別な努力を必要とせず、日常の中に自然と存在している。

修理を、社会のインフラとして考える。

そうすると、「物を大切にする」という言葉の意味も変わってくる。

物を長く使うために必要なのは、必ずしも持ち主が何でも直せるようになることではない。

直したいと思ったとき、適切な人や場所へたどり着けること。

それもまた、物を大切にできる社会の条件なのだと思う。

すべてを修理すればいいわけではない

ただし、あらゆる物を修理すればいいというわけではない。

安全性を確保できないものもある。

交換部品が手に入らない場合もあれば、修理に必要な費用や資源を考えると、買い替えた方が合理的なこともある。

修理そのものにも、費用や環境負荷は発生する。

そして、修理を支える人の存在も忘れてはいけない。

壊れた原因を調べ、部品を探し、分解し、手を入れ、再び安全に使える状態へ戻す。

そこには専門的な知識と経験が必要になる。

修理が社会に広がっていくためには、直す人が適切な対価を受け取り、仕事として続けられることも重要だ。

善意のボランティアだけでは支えきれない部分もあるだろう。

だから、修理を当たり前にするというのは、何でも無理に直そうとすることではない。

修理という選択肢があり、その費用や時間、安全性を踏まえて、自分で選べること。

そして、その選択を支える人や仕組みが持続していくこと。

そこまで含めて考える必要がある。

物を大切にしたいと思える社会

もう一度、靴の話に戻ってみる。

お気に入りの靴の底が剥がれてしまった。

けれど、近所に修理店がある。

料金の目安も分かる。

持ち込めば、何日くらいで直せるのか教えてもらえる。

費用も、新しい靴を買うことと比較して納得できる。

それなら、わざわざ「環境のために修理しよう」と意識しなくても、自然と修理を選ぶかもしれない。

反対に、修理する場所が分からず、費用も高く、何週間も待つことになるなら、新しいものを買ってしまうこともあるだろう。

その違いは、物を大切にする気持ちの強さだけでは説明できない。

私たちの行動は、日々の生活を支えるさまざまな仕組みによって形づくられている。

便利に買えること。

簡単に手放せること。

そして、直して使い続けられること。

どの選択肢が身近にあるかによって、物との関係も変わっていく。

物を長く使う社会をつくるために必要なのは、一人ひとりがもっと努力することだけではない。

直すことを難しくしている仕組みに目を向け、使い続けるための環境を少しずつ整えていくことなのだと思う。

物を大切にするという行為を、特別な決意にしない。

壊れたら直す。

使いながら手入れする。

必要でなくなったら、次の人へ渡す。

そんな選択が、特別なことではなくなる。

物を長く使う社会とは、物を大切にする人が多い社会だけではない。

物を大切にしたいという気持ちに、きちんと応えられる社会なのかもしれない。


参考資料

1. European Commission — Directive on repair of goods

2. フランス政府 — Bonus Réparation

3. Repair Café International — Global Repair Café Survey